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2025.10.22
1868年:アメリカ人時計師 フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズ がスイス・シャフハウゼンにて創業。
当時の目的は、「アメリカの生産技術」と「スイスの職人技」を融合させた高品質時計を作ること。
ライン川の水力を利用し、近代的な工場で時計を大量生産するという、当時としては非常に革新的な試みでした。
この頃から「精密で信頼性の高い懐中時計メーカー」として名を広めます。
20世紀初頭、懐中時計が主流の時代に、IWCは早くから腕時計製造に着手。
1936年:「パイロット・ウォッチ(Special Watch for Pilots)」を発表。
耐磁性・高い視認性を持ち、航空機操縦士に支持されました。
このモデルが後の「パイロット・ウォッチ」シリーズの原型となります。
1940年代:「ビッグ・パイロット・ウォッチ」や軍用時計「マークXI」を開発。
マークXIはイギリス空軍でも採用されたほどの高精度モデル。
1950年代:「インヂュニア」誕生。耐磁性を備えたエンジニア向けモデル。
1967年:「アクアタイマー」登場。IWC初のダイバーズウォッチ。
世界的な「クォーツショック(日本製クォーツ時計の台頭)」で多くのスイスメーカーが打撃を受けます。
IWCは高級機械式時計の価値を守りつつ、革新を模索。
1980年代:高級素材(チタン、セラミック)を時計ケースに導入。
チタン製ケースのパイオニアとして知られます。
1993年:創業125周年記念モデル「ポルトギーゼ・リミテッド」を発表。
→ これが人気を博し、「ポルトギーゼ」コレクションが現代の代表ラインに。
2000年:リシュモングループ(Richemont)傘下に入る。
2000年代以降:
自社製ムーブメントの開発を本格化。
「ポルトギーゼ」「パイロット」「ポートフィノ」「インヂュニア」「アクアタイマー」「ダ・ヴィンチ」など、6大コレクションを展開。
環境・持続可能性への取り組みも強化し、近年は再生素材やサステナブルな製造工程も重視。
精密工学と実用性を重視(デザインより“機能美”志向)。
自社ムーブメントを多く開発。
パイロットウォッチとポルトギーゼは特に象徴的。
こちらは、IWC Schaffhausen(略して IWC)の創業者、Florentine Ariosto Jones の物語です。腕時計好きやブランドヒストリーに興味がある方には、創業時の背景や彼のビジョンがとても面白いので、順を追ってご紹介します。
ジョーンズは1841年、アメリカ・ニューハンプシャー州ルムニー(Rumney)で生まれます。 iwc.com+2iwc.com+2
若い頃、ボストンの時計・機械メーカーである E. Howard & Co. で働き、後にその工場の副監督・生産管理のポジションに就いたと言われています。 iwc.com+1
その後、当時としてはかなり先進的な「アメリカ式製造システム(interchangeable parts/機械化された組立て方式)」に強い関心を持っていました。 nawcc.org+1
このように、ジョーンズは単なる時計職人ではなく「機械加工+量産」という流れに着目したエンジニア的視点を持った人物だったのです。
1868年、ジョーンズはアメリカ市場向けに高品質な懐中時計ムーブメントを製造しようという構想を持ち、スイスに渡ります。 iwc.com+1
彼が選んだ場所がスイス東部、ライム川(Rhine)沿いのシャフハウゼン。そこを選んだ理由は複数あります:
豊富な熟練職人がいるスイスの時計産業の土壌があった。 iwc.com+1
労働賃金がアメリカより相対的に低かった。 iwc.com+1
ライム川の水力を活用できる環境があり、工場設備を動かすのに適していた。 gregsteer.net+1
鉄道や輸送インフラが整いつつあったこともポイントでした。 gregsteer.net+1
つまり、「アメリカの大量生産技術+スイスの職人技」を融合させようというビジョンのもと、立地から綿密に選んでいたわけです。
1868年、ジョーンズは「IWC(International Watch Co.)」をシャフハウゼンに設立しました。 iwc.com+1
当初、彼の目標は「アメリカ市場向けに、スイスで最高品質の懐中時計ムーブメントを工場生産する」ことでした。 iwc.com+1
そして、さほど時間をかけずに「年間1万個以上のムーブメント生産」を実現するインフラを整えたと言われています。 fhs.swiss+1
ムーブメント(機械部分)では、独自の設計「ジョーンズ・キャリバー(Jones calibre)」が初期モデルとして登場。特徴として、当時のスイス式とは異なり、三分の四プレート(three-quarter plate)や長いインデックス調整機構「F. A. Jones矢印(arrow)」などを備えていました。 press.iwc.com+1
ただし、順風満帆というわけではなく、同社およびジョーンズ自身には多くの課題がありました。例えば:
株主の期待する収益・成長をなかなか達成できなかった。 WATCH INSANITY+1
労働賃金の上昇・関税・輸出コスト・機械設備投資など、実務上の圧力があった。 press.iwc.com+1
スイスでの伝統的な小規模生産体制(職人が自宅で作業するなど)と、大規模工場生産を導入しようとする彼の方針との間に摩擦もあったようです。 iwc.com
結果として、1875年頃にはジョーンズは同社を離れ、アメリカに戻ることとなります。 iwc.com+1
その後、1880年にはシャフハウゼンの実業家家族(Rauschenbach)が会社を買収し、IWC は別のフェーズへと移ります。 fhs.swiss+1
ジョーンズの「アメリカ式大量生産技術+スイスの職人技」という構想は、IWC が今日でも重視する理念に深く根差しています。公式にも「創業者の精神は21世紀の IWC にも生きている」と述べられています。 iwc.com
さらに、初期のジョーンズ・キャリバーが IWC の技術力と精度へのこだわりを象徴するモデルとして、ブランド史において重要な位置を占めています。 Pendulum Magazine
また、IWC の歴史年表では「1868年 ジョーンズによる設立」がスタート地点として語られています。 press.iwc.com
ジョーンズはアメリカ出身の時計技師/エンジニアで、先進的な製造手法をもってスイスに進出した。
1868年に株式会社 IWC をスイス・シャフハウゼンに設立。
彼のビジョンは「スイスの職人とアメリカの製造技術」を組み合わせて、高品質時計を大量に/効率的に生産すること。
様々な困難があり、最終的には彼は経営から離れたが、彼の理念と技術設計は IWC のブランド哲学として受け継がれている。