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2025.07.16
翡翠は、瑞々しい緑を筆頭に豊かな色彩を見せる宝石で、古代から現代にいたるまで東アジア圏で熱狂的に愛されてきました。この「翡翠」という呼称は単一の鉱物を指すのではなく、ジェダイト(硬玉)とネフライト(軟玉)という2種の鉱物を総称したものです。前者は宝石的価値が特に高い硬玉、後者は彫刻素材としても用いられる軟玉という違いがあり、両者が織りなす奥深い世界観こそ翡翠の魅力の源と言えます。
翡翠は「東洋の宝石」と呼ばれると同時に、5月の誕生石の一つとしても知られています。国内では日本海に面した新潟県糸魚川市が世界的産地として名高く、その文化史的意義が評価されて2016年には日本鉱物科学会により国石に指定されました。モース硬度6.5〜7という中硬度ながら、結晶が絡み合うように緻密な構造を持つため、靭性に優れ割れにくい点も翡翠を特別な宝石たらしめています。
翡翠の名前の由来
翡翠という漢字は、本来カワセミ(翡翠鳥)という小さな水辺の鳥を指しています。ミャンマーから伝わった濃緑の宝石と、羽根の表面に赤と緑が交差するカワセミの輝きとが呼応し、「同じように神秘的な彩りを宿す存在」として同名が当てられたと考えられています。またカワセミの羽は光の干渉で青緑から深緑まで多様に変化し、その多彩さも翡翠の色幅を象徴する比喩となりました。
一方、西洋では翡翠を示す Jade という語が使われますが、これはスペイン語で「腰の石」を意味する piedra de ijada が語源です。かつて中南米の人々が翡翠を腰や脇腹に当てると腎臓の痛みが和らぐと信じたことからこの名が生まれ、やがてフランス語や英語へと派生しました。東西それぞれに異なる名と逸話が残る事実は、翡翠が文化を超えて人々の生活や信仰と深く結びついてきた証しと言えるでしょう。
翡翠の歴史
新潟県糸魚川で産出する翡翠は約5億2千万年前に生成されたとされ、縄文後期には勾玉・管玉として北は北海道、南は沖縄まで流通しました。弥生・古墳期には王権や祭祀の象徴となり、古代の交易ネットワークを裏付けます。近代に鉱床が再発見され、2016年に国石に指定されると、糸魚川翡翠は学術的価値と宝飾品としての人気を同時に高めました。
現在は産地証明の化学分析や国際宝飾展への出品を通じ、古代以来の魅力が再評価されています。国内外のコレクターが求め、現地では文化遺産と観光を両立させる取り組みも進んでいます。
中国では古来「玉」の頂点に翡翠が位置し、周・漢代にはネフライトが王墓に副葬されました。18世紀後半、ミャンマー産ジェダイトが清朝宮廷に渡ると、西太后らが競って愛用し翠色が権力の象徴に。メソアメリカではマヤやアステカが翡翠を生命の石として胸飾りや仮面に用い、ルネサンス期ヨーロッパでも薬石として珍重されました。
その伝統は続き、現代ではミャンマー産ジェダイトがオークションで高値を更新し、北米先住民のネフライト彫刻も芸術的評価を高めるなど、翡翠の神秘性は世界市場でなお輝きを放っています。